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東京地方裁判所 昭和52年(ヨ)2242号 判決

昭和五二年(ヨ)>第二二四二号事件債権者

(別紙選定者目録記載の選定者らの選定当事者)

新居崎邦明

昭和五二年(ヨ)第二三〇二号事件債権者

玉城昌和

右両名訴訟代理人

井上傭一

外二名

右両事件債務者亡森喜作相続人

森登喜子

外五名

右六名訴訟代理人

足立博

外一名

主文

債務者亡森喜作相続人森登喜子は別紙選定者目録記載の昭和五二年(ヨ)第二二四二号事件選定者らに対し別紙債権目録(一)の各選定者名下の森登喜子承継分欄記載の各金員を、同相続人森喜美男、同大野由美子、同森博英はそれぞれ同選定者らに対し同目録の各選定者名下の森喜美男、大野由美子、森博英各承継分欄記載の各金員を、同相続人石川智一、同石川真弓はそれぞれ同選定者らに対し同目録の各選定者名下の石川智一、石川真弓各承継分欄記載の各金員を、それぞれ仮に支払え。

昭和五二年(ヨ)第二二四二号事件債権者のその余の申請及び同第二三〇二号事件債権者の申請はいずれもこれを却下する。

申請費用中、昭和五二年(ヨ)第二二四二号事件につき生じたものは右債務者相続人らの、同第二三〇二号事件につき生じたものは同事件債権者の各負担とする。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉に当事者間に争いのない事実を綜合すると、森産業は食用及び栽培用菌種並びに種駒の製造販売を、微生研は「きのこ」誌の発行をそれぞれ主たる目的とする株式会社であるが、森産業は菌種、種駒の開発者である森喜作が創立し以来事実上その経営を主宰してきた会社であり、微生研は、森産業の右営業ないし森喜作の功績を宣伝普及することを主たる目的とする月刑誌「きのこ」を発行するため、森喜作が創立し経営を主宰してきた会社であること、右の関係から、微生研はもともと森産業もしくは森喜作の存在を離れては独力で経営を維持する基盤を持たず、発行した「きのこ」誌の大半を定量的に森産業が買上げ、広告料収入の大半も森産業に依存して、即ち収入の大半を森産業の支出に依存して経営を維持してきたものであること、森喜作は森産業創立以来同人の死亡まで引続き同社の代表取締役の地位にあつたこと、一方微生研の代表取締役には、その創立以来森喜作が就任していたが、昭和五〇年七月三一日をもつて一旦退任し、同日宮本武士が就任し、同年九月二三日再び森喜作が右宮本と並んで就任し、右宮本は昭和五一年一〇月七日辞任し、同日大間亮二が就任し、森喜作は同年一二月二二日辞任し、以来大間亮二のみがその任にあること、選定者ら及び債権者玉城のうち、選定者池田裕子、同新居崎邦明は昭和五〇年三月以前に、同本村紀夫、同林道寛、同本村直也、同高力智恵、同鵜川元子、同鬼頭勝利はいずれも同年四月以降森喜作が代表取締役就任中に、同宮崎悦子は昭和五二年一月七日に、債権者玉城昌和は同年三月二一日に、それぞれ微生研に採用された従業員であり、いずれも昭和五〇年一月末ごろ結成された組合に加入している者であること、役員を除き微生研の従業員は全部右組合員であること、右大間が代表取締役に就任以後微生研は、森産業からの雑誌代金及び広告料の前渡しを得て運営資金を維持し、昭和五二年二月号までの「きのこ」誌を発行し、同年一月分までの選定者らに対する賃金を支給してきたが、同年二月に至り、森産業は以後の「きのこ」誌を納入しない限り、同年四月(昭和五一年契約年度末)まで分の前渡金残金も支払わないし同年五月分以降(新契約年度)の「きのこ」誌購入及び広告料も契約しないとの態度を打出し、これを固持したため、資金面から微生研の運営が不可能になり、同年三月号以後の「きのこ」誌を発行できず、同年二月分(二月二五日が支給日)以後の選定者ら従業員に対する賃金の支払いも不可能となつて今日に至つていることを、いずれも一応認めることができる。

二〈証拠〉によれば、微生研と組合との間に交わされた労働協約に基づき微生研が組合員たる選定者ら及び債権者玉城に支払うべき賃金は、前月二一日から当月二〇日までの分を当月二五日に支払うべきものとされ、昭和五二年二月分、三月分及び四月分以降(但し債権者玉城については四月分以降のみの)各月額賃金は別紙二月分、三月分、四月分以降各賃金計算表記載のとおりであり、また同年六月二五日に支払うべき一時金は、選定者らにつき別紙債権目録(二)の一時金欄記載のとおり、債権者玉城につき金二四七、〇〇〇円であることが、いずれも一応認められる。

三〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を一応認めることができる。

昭和四九年秋ごろから、微生研の経営に対する従業員側のの不満及び経営内部からの批判等に端を発して社内紛争が生じ、同年一一月未ころ微生研は株式総会において解散を決議し、同年一二月から昭和五〇年二月にかけて再三にわたり代表取締役森喜作は従業員に対し微生研の解散と「きのこ」誌の発行中止のやむをえないことを訴えるとともに、従業員全員の退職を呼びかけ、終に同年二月二八日をもつて微生研事務所(東京都新宿区所在共同ビル七階)の撤去を通告し、同日右撤去を実施しようとした。これに反撥した従業員(当時七名)は同年一月二九日組合員を結成し、微生研に対し団体交渉を要求し、右事務所閉鎖に対しては事務所占拠をもつてこれを阻止し、以来争議状態に入つた。かかる組合の抵抗を受けて森喜作は、森産業経営陣とも相談のうえ右会社解散等の方針を変更し、同年三月七日の団体交渉に応ずることとした。かくして三月七日の団体交渉は、経営者側は森喜作のほか当時森産業の従業員であつた大間亮二及び寺内寛寿が立会し、組合側は組合員全員のほか総評全国一般労働組合東京地本書記長、組合側弁護士、支援団体員が立会して(組合側総勢三〇名位)行なわれ、組合側の提出した諸要求に森がほぼ全面的に従う形で進められ、同人が組合に対し微生研の解散、従業員の解雇を全面的に撤回すること、「きのこ」誌の発行を継続することを確約し、微生研のとつてきたこれまでの行為につき謝罪して、これらを確約書、謝罪書等として書面化するとともに、微生研が組合に対し解決金を支払うこと、従業員に対し同年三月分以降の賃金を全額定時に支払うこと、従業員数(当時七名)をもとの九名にもどすことなどを確約する書面多数を取り交わした。しかるうえ森は、微生研自体は森産業や森個人の援助なくしては独立の経済的基盤を持たないことから、右各約束につき微生研の履行能力に不安があるとする組合側の要求に応じ、同人が引き続き微生研の経営を主宰していくとの覚悟を踏まえて、当日微生研が組合に対し約束した全ての事項につき個人として連帯保証することを約し、「すべての確認書の履行に関しては、森喜作個人として一切の無制限連帯保証責任を負担する」旨の書面を作成して組合に交付した。さらに組合は同日の約束及び連帯保証条項の全てを後日裁判上の和解調書とすることを求め、森喜作はこれにも応じた。引続き行なわれた同年三月一〇日及び一四日の団体交渉は右とはほぼ同様の出席者(但し同月一四日には右寺内寛寿は出席しない)で行なわれ、右両日をもつて労働協約が締結され、三月一〇日付労働協約書、同月一四日付労働協約改定および補足として成文化された。右協約は労働時間、休日、休暇、賃金、諸手当、退職金、災害保障等労働条件全般にわたる合意を含むものであり、かつ従前の労働条件を大幅に上廻る内容のものであつたところ、森喜作はこれらについても前記同様の趣旨で個人として連帯保証することを約束し、右各同日付をもつて組合に対し「合意したすべての労働協約の履行に関しては、森喜作個人として一切の無制限連帯保証責任を負担する」旨の文書を作成し、交付し、かつ前同様労働協約及び連帯保証条項のすべてにつき裁判上の和解調書とすることを約した。

四以上一、三項に認定した森喜作と微生研との関係、団体交渉に至る紛争の経緯、連帯保証条項合意に至る交渉の経緯と理由、その合意が当時の従業員の全員たる組合員の面前で行なわれていること、合意文書の文言等諸般の事情並びに、右のとおり成立した労働協約の内容は従前の労働条件を上廻るものであつたから労働組合法一六条の規定によりそのいわゆる規範的部分は当然に微生研と組合員との間の労働契約の内容となる関係にあるところ、右労働協約の締結は労使双方ともそのことを意識しつつなされたものと推認されることに鑑みると、森喜作が組合に対し昭和五〇年三月一〇日及び同月一四日にした労働協約の履行に関する連帯保証の意思表示は、単に労働協約により微生研が組合に対して負担する債務の履行について連帯保証することを約するのにとどまらず、労働協約の締結によりその規範的部分について労働組合法一六条の規定により微生研が組合員に対して労働契約上の債務を負担するに至ることを前提として、その債務の履行につき、微生研が将来にわたり森産業や森喜作個人を離れて独自の経済的負担力に不安があるとの認識の下に、森喜作個人が組合員に対してもその連帯保証債務を直接履行すべきことを組合に対し約束したもの、即ち第三者たる組合員のためにする契約として成立したものと解すべく、そして組合員の構成は将来変動することが当然予定され、それに伴つて労働協約中の規範的部分は新たに加入する組合員に対する基準として機能する関係にあるのであり、また労働協約に基づくその規範的部分の内容も、協約の改訂や新たな協約の締結により変動し改訂されることが予定される性質のものであるから、右連帯保証の範囲は、将来加入すべき組合員に対する債務をも含み、かつ将来改訂されるべき労働協約に由来する債務をも含む趣旨で締結されたものと、一応認めるのが相当である。

もつとも、〈証拠〉によれば、右三月七日、同月一〇日及び同月一四日の付帯合意に基づいて同年六月二四日東京簡易裁判所において同裁判所昭和五〇年(イ)第二八六号事件として組合及び組合員代理人弁護士と微生研及び森喜作代理人弁護士との間で即決和解が成立し、同調書には、組合員と微生研との間の雇用契約関係確認条項のほか、組合と微生研との間の合意として、ストライキ中の会社事務所の管理委託条項、従業員の採用、不利益処分及び会社解散に関する事前協議承諾条項、組合事務所設置条項、会社設備の無償使用条項、光熱費等の負担条項、勤務時間中の組合活動条項、組合掲示板条項、団体交渉条項を合意したうえで、連帯保証条項としては、「森喜作は組合と微生研との間で昭和五〇年三月七日及び同月一〇日締結された労働協約中右合意条項の債務につき微生研に債務不履行による損害賠償債務が発生した場合に連帯保証の責任を負担しこれを履行する」旨の記載があるにすぎないことが認められるのであるが、右三項に掲げた証拠によれば右三月一〇日及び同月一四日になされた前記連帯保証の合意はそれ自体完結した意思表示ないし契約であると認めるべきであり、右和解における合意によつて右連帯保証の合意を変更したものと認めるべき証拠は何ら存しないから右和解条項に第三者たる組合員のための契約条項を含まないことは、前認定を左右するものではない。

五次に債務者は右組合員のためにする連帯保証契約の効力に関し種々主張するのでこれらにつき順次判断する。

(一)  まず、右契約は、契約当時組合員ないし既に組合加入が確定していた者のためにのみ、かつ森喜作が微生研の代表取締役として存任する期間に発生した債務に限り連帯保証する趣旨に解すべきであると主張する。しかしながら、右契約が将来組合に加入すべき組合員に対しても効力を有するものとして締結されたものと解すべきことは既に述べたとおりであり、また既に認定したとおり、右契約は微生研の解散という方針を組合の抵抗により撤回した森喜作が組合側の要求により、微生研の創立者、主宰者としてその営業継続を約し、それに伴つて個人としても連帯保証責任を負う旨を約したものであるから、自らの意思により代表取締役を辞任することにより連帯保証責任を免かれうるのではその趣旨を全く没却することになるものというべく、連帯保証の期間を同人の代表取締役在任中に限定するとする解釈はとりえないところであり、またかかる証拠も存在しない。

(二)  次に、右連帯保証の意思表示は組合及び組合員並びにその支援団体員の集団吊し上げという強迫行為に基づきなされたものであるとの点について考えてみる〈中略〉。

(三)  次に、森喜作は右契約当時の所属組合員ないし既に加入が確定していた者のみのために、かつ同人の代表取締役在任期間に限定されるものとの意図で本件連帯保証の意思表示をしたものであるから、その点に錯誤があつたものである旨主張するが、かかる事実の認めえぬことは既に述べたところから明らかである。

(四)  次に、本件連帯保証契約は森喜作をして莫大かつ無限定の債務を負担させるものであるから、また同人の無思慮窮迫に乗じてなされたものであるから、公序良俗に反し無効である旨、本件各申請は選定者ら及び債権者玉城ら組合員が微生研代表取締役大間亮二と一体となつてことさら森の損害を拡大させるためにしているものであるから信義則上許されない旨、本件連帯保証責任につき信義則により、もしくは身元保証法五条の類推適用によりその責任の範囲を制限すべき旨、さらに債権者玉城は微生研が営業を廃止し微生研のために提供すべき労務が存しないのにこれを知りながら森に連帯保証責任を負担させるために雇用されたものであるから同債権者の本件申請は信義則上許されない旨を各主張するところ、これら主張は相互に関連性を有するので一括して判断する。

本件連帯保証契約に基づく森の責任は、既に判断したとおり将来組合に加入すべき全ての微生研従業員に対する賃金債務等労働協約に由来する労働契約上の債務全般に及びかつ期間も無制限という継続的かつ広汎にわたるものであるから、かかる継続的連帯保証責任については、連帯保証をするに至つた事情、連帯保証人と債権者及び主債務者等との関係等契約時における事情を踏まえつつ、なおその後に生じた連帯保証人と主債務者との信頼関係の変動、主債務増加の原因その他諸般の事情を綜合考慮して、信義則に照らし、合理的範囲を超える主債務部分については、その連帯保証責任を制限することができるものと解するのが相当である。

ただ、既に判断したとおり、本件の連帯保証は、微生研及び同社がその存続を大幅に依存している森産業の創立者として事実上その主宰をしてきた森喜作が、一旦微生研解散、全従業員退職(ないし解雇)という方針を貫こうとした後これを撤回し、組合に対してその非を認めたうえ、引き続き微生研の主宰者としての責任を全うしていこうという立場から約束したものであるから、将来微生研が組合員に対し負担するに至るであろうことが合理的に予測しうる範囲内においては、微生研が負担するとほぼ同一の広汎な責任を負担しようとの意図に出たものと推認すべき性質のものであり、ただその責任が広汎であるというだけの理由で本件連帯保証契約を公序良俗に反し無効なものということはできないし、これにつき身元保証法五条を直接類推適用すべき基盤も存しないというべきであり、右信義則による責任の制限も右契約の意図を著しく超える場合にのみ限定的に認めうるにすぎないものというべきである。また右信義則上の合理的範囲を逸脱しない限度においては、微生研から賃金の支払いを受けられない選定者らないし債権者玉城が右連帯保証債務履行請求権を被保全権利として仮払いの仮処分を求めることをもつて信義則上許されない権利行使と目する余地はないものというべきであるし、本件連帯保証契約が森の無思慮窮迫に乗じてなされたものであるから公序良俗に反し無効であるとの主張についても、右認定の本件連帯保証をするに至つた経緯、前(二)項に判断した事情に照らし採用の限りでない。

そこで右に示した観点から、本件連帯保証責任範囲の信義則による制限について考えてみるのに、本件甲事件の選定者らに対する賃金等債務に関する限り、それが本件連帯保証責任の合理的範囲(本件連帯保証契約当時合理的に予測しえた対象主債務の範囲)を逸脱するものと判断するに足りる事情はこれを認めえないというべきである。

他方、本件乙事件債務者に対する賃金等債務についてみると、既に認定したとおり債権者玉城は、森喜作が昭和五一年一二月微生研代表取締役の地位を辞し、森産業が昭和五二年二月微生研に対する資金支出打切りの態度を明らかにし、よつて事情が変更しない限り微生研の爾後の営業継続及び賃金支払いが不可能となる蓋然性が高くなり、現に二五日に支払われるべき賃金も支払われないという事態に至つた後の同年三月二一日に雇用されたものであるところ、〈証拠〉によると、昭和五一年一一月ころ組合と微生研代表取締役大間との間で従業員一名の増員を合意し、これに基づき債権者玉城を採用することが昭和五二年二月に内定したが、その後前示のとおり、同月分の賃金が支払えないという事態を迎えて採用を一時見合わせていたけれども、同債権者の要請により同年三月二一日に至り採用するに至つたものであることが一応認められる。しかしながら、〈証拠〉によると、昭和五一年一二月当時微生研は既に運営資金に苦しみ、同代表取締役大間は再三にわたり森産業に対して雑誌代及び広告代の前渡支払いを求め、かろうじて同月中に昭和五二年四月までの契約分のうち一五二万円のみを残して残額全部の前渡支払いを得たが、そのころから森産業は微生研に対する資金支出打ち切りの態度をほのめかしていたものであることが認められるのであり、その後森産業が資金支出打ち切りの態度を明らかにした時期と債権者玉城採用内定の時期との前後関係は明らかではないが、いずれにせよ同債権者採用内定の時期において、将来微生研の営業継続及び従業員に対する賃金等支払いが資金的に困窮するとの予測ができる状況にあつたものと認めるべく、またかかる状況に照らせば、右の時期において微生研の営業上従業員増員の客観的必要性は何ら存しなかつたものといわざるをえない(なお昭和五一年一一月当時においてすら必要性が存したと積極的に肯認しうるに足る疎明はない。)。そして右事実と弁論の全趣旨に照らすと、組合及び債権者玉城においても、微生研のかかる状況の概要はこれを予知しながら、右採用に至つたものと推認するのが相当である。

かかる時期及び事情における同債権者の採用は、いたずらに微生研の賃金等債務を増加させるものであり、これにより増加した右債務は、本件連帯保証契約時における前示意図から著しく逸脱するものであつて、組合及び債権者玉城においてもこの事情を知りながら採用されたものと認められる以上右採用に基づく同債権者の賃金等請求権については、本件連帯保証責任を追求しえないものと解するのが相当である。

よつて本件冒頭掲記の各主張は、右の限度で理由があるが、その余は採用しえないものというべきである。

(五)  次に、本件連帯保証契約当時存した森喜作と微生研との信頼関係が破綻したことに基づく右契約の解約を主張するところ、一般的には、本件連帯保証契約の如き期間の定めのない継続的保証契約は、保証人の主債務者に対する信頼が害されるに至るなど保証人として解約申入をするにつき相当の理由がある場合には、右解約により債権者(本件の場合は受益者たる組合員を含めて)が信義則上看過できない損害を蒙るような特段の事情がある場合を除いて、保証人から一方的に解約できるものと解される。

そこで考えるのに、前示のとおり森喜作は昭和五一年一二月二二日微生研代表取締役の地位を辞任したものであるところ、債務者は右は大間ほか役員の造反によりそのやむなきに至つたものと主張するけれども、かかる事実を認めるに足る疎明はなく、かえつて〈証拠〉によると、組合側は微生研が森喜作及び森産業の傘下にあることを終始望んでいたものであるところ、右辞任は森喜作自身もしくは森産業側の意向によりなされたものであることが一応認められるのであり、そして微生研は昭和五二年三月以降森産業からの資金支出打切りという措置によつて業務継続が不可能になつているのであるが、弁論の全趣旨によれば、右資金支出打切りの措置も、森の代表取締役辞任に引続く、いわば微生研の森産業及び森喜作からの切り離し方針のあらわれと窺われ、その後の微生研の運営(主として労務ないし対組合対策)について森ないし森産業の意向が全く反映されず、ひいて微生研と森ないし森産業が事実上対立状態に至つているのも、直接には右がその原因となつているものと認められるのである。

もともと組合が森喜作から本件連帯保証契約を取りっけた動機は、前示のとおり微生研が昭和五〇年三月七日から一四日にかけて組合に対し約束した確約及び労働協約の履行につき、森喜作ないし森産業から切り離されたものとしては信用がないことにあるのであり、森喜作もその動機を承知して本件連帯保証契約をしたのであることと右認定の事情に鑑みると、現実の問題として森喜作と微生研との信頼関係が存在しなくなっているとしても、未だ森喜作が本件連帯保証契約の解約を申入れるにつき相当な理由がある場合に当るものということはできないのみならず、右解約により組合及び受益者たる選定者らの蒙る損害は、信義則上看過できない事情にあるものとみるのが相当である。

よつてこの点の主張は採用できない。

(六)  最後に、森喜作が昭和五二年一〇月二三日死亡したことにより本件連帯保証契約関係が終了した旨を主張するところ、同人の右死亡の事実は当事者間に争いがない。

既に述べたとおり本件連帯保証契約に基づく責任は限度額及び期間について無限定の継続的かつ広汎なものであり、かかる連帯保証責任は、一に契約締結者個人の人的信用関係を基礎とするものであるから、特段の事由のないかぎり、当事者その人と終始するものであつて、連帯保証人の死亡後生じた主債務については、その相続人においてその連帯保証責任を承継負担するものではないと解すべきである(最高裁昭和三七年一一月九日判決民集一六巻二二号二二七〇頁参照)。しかるところ、以上に認定した本件連帯保証契約に至つた事由、微生研と森喜作との関係その他右契約時における諸般の事由を考慮しても、反面既に判断したように、右死亡時においては既に森喜作は微生研の代表取締役ではなく、かえつて同人及び同人がなお代表取締役の地位にあつた森産業との間はいわば対立状態に至つていたとの事情を併せ考えると、本件の場合が、同人の相続人をして同人死亡後に発生すべき主債務についてもなお連帯保証責任を承継するものと解するのを相当とする特段の事情のある場合とは認め難く、他に右特段の事情を肯定すべき資料はない。

よつてこの点の主張は理由があるものというべく、右死亡当時既に同年一〇月二〇日までの賃金計算期間を経過し、その支払期が同年一〇月二五日と定められていた同年一〇月分までの選定者らに対する賃金支払債務の限度でその連帯保証責任は同人の相続人らに承継されるが、その後の賃金支払債務についての連帯保証責任は右相続人らに承継されないものというべきである。

六以上のとおりであるから、組合と森喜作との間の本件第三者のためにする連帯保証契約に基づき、第三者たる選定者らは微生研に対して有する前二項認定の賃金のうち昭和五二年一〇月分までの賃金及び一時金請求権につき、森喜作に対し直接に連帯保証債務の履行を求める権利を有するものと一応認めるべく、そして選定者らが本件甲事件申請書の送達をもつて森喜作に対しその受益の意思表示をしたことは本件記録上明らかである。しかしながら選定者らの昭和五二年一一月分以降の賃金請求権及び債権者玉城の微生研に対する賃金及び一時金請求権について森喜作に対する右連帯保証債務の履行を求める権利については、その疎明がないことに帰する。

しかるところ、森喜作は昭和五二年一〇月二三日死亡し、同人の妻である森喜美子、嫡出子である森喜美男、同大野田美子、同森博英、非嫡出子である石川智一、同石川真弓がその法定相続人であることは当事者間に争いがなく、そうすると右相続人らは森喜作の選定者らに対する右債務を各法定相続分に応じて、即ち右森喜美子において三分の一、森喜美男、大野由美子、森博英において各六分の一、石川智一、石川真弓において各一二分の一の割合で、相続により承継したものというべきである。

七そこで進んで、右のとおりその存在を肯認しうる選定者らの請求権について、その仮払いを求める必要性について考えるのに、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によると選定者らの生年月日、家族構成、生計状況は次のとおりであることが一応認められる。

(1)  選定者池田裕子 昭和二五年四月一三日生れ、夫との二人家族、夫と本人の収入により生計を維持(本人の収入とは微生研からの賃金収入をいう。以下本人の収入というときは同様である。)。

(2)  同新居崎邦明 昭和二二年四月二五日生れ、妻及び子二人(但しうち一人は昭和五二年九月生れ)との四人家族、本人の収入だけで生計を維持。

(3)  同木村紀夫 昭和二四年七月三一日生れ、妻と二人家族、本人と妻との収入により生計を維持。

(4)  同林道寛 昭和二六年四月五日生れ、妹と二人で生活、本人の収入だけで生計を維持。

(5)  同本村直也 昭和二九年二月八日生れ、本人一人暮しで本人の収入により生計維持。

(6)  同高力智恵 昭和三一年一月一七日生れ、本人一人暮らしで本人の収入により生計維持。

(7)  同鵜川元子 昭和三二年二月一五日生れ、本人一人暮しで本人の収入により生計維持。

(8)  同鬼頭勝利 昭和二〇年四月二〇日生れ、妻と子二人との四人家族、本人の収入だけで生計維持。

(9)  同宮崎悦子 昭和二七年八月四日生れ、夫との二人家族、夫と本人との収入により生計維持。

そして、選定者らは微生研から昭和五二年二月分以降の賃金等の支払いを事実上受けられないでいること前認定のとおりであるから、本件連帯保証債務の履行を受けないとその生活に困窮するものであることが一応認められる。

ところで、仮払いの仮処分はいわゆる満足的断行仮処分であり、一たんその執行がなされると後日本案判決において債務者が確定勝訴判決を得てもその損害を回復することは著しく困難になるものであるから、仮払いを命ずる限度は、選定者らにおいて日常生活を維持するため真に必要な限度に限られなければならない。

この点に関し〈証拠〉には、選定者らの各支出月額について記載があるけれども、その記載内容については客観的な裏付けを欠き真にそれだけの支出が生計維持のために必要であるとの心証をいだかせるに足りないところ、総理府統計局発行「家計調査報告第三五〇号(昭和五二年九月分)」によれば昭和五一年における全国勤労者世帯(世帯人員3.79人)の消費支出月額が一八万〇六六三円であること、及び労働大臣官房統計情報部発行の「昭和五一年賃金構造基本統計調査報告」によれば同年の全国全産業における二〇歳ないし二四歳の労働者の平均賃金月額が一二万七一五〇円、二五歳ないし二九歳のそれが一六万八三一六円であることはいずれも公知の事実であるから、これに一年分の物価上昇を考慮したうえ、右認定の選定者らの年令、家族構成、生計状況とを対比し、選定者らのうち妻子を扶養している新居崎及び鬼頭については月額二〇万円、配偶者二人家族で共稼ぎしている池田、木村紀夫及び宮崎並びに独身生活者で昭和五二年四月末当時二〇歳から二三歳である本村直也、高力及び鵜川については月額一五万円、右当時の年令が二六才で妹と二人で生活している林道寛については月額一七万円の限度で真に日常生活を維持するに必要な額と一応認めるのが相当というべきである。そして右月額は各選定者の昭和五二年二月分から同年一〇月分までの各月額賃金の範囲内であるから、その限度で仮払いの必要性があるものというべく、それを超える月額賃金及び一時金の仮払いについてはその必要性を認めえないことに帰する。なお選定者らは同年一一月分以降については仮払いを求めえない結果その生活に困窮を来たすことになるが、それはその被保全権利を肯認しえないことに由来するやむをえない結果であり、右必要性の範囲についての判断を左右するものではない。

そうすると各選定者について仮払いを認容すべき昭和五二年二月分から同年一〇月分まで(九ケ月分)の金額の各合計額は、別紙債権目録(一)の各選定者名下の合計額欄記載のとおりであり、そしてこれらを前示したところに従い債務者相続人らの各相続分に応じて按分すると、各相続人の承継分は、同目録の各選定者名下の各相続人ら承継分欄記載のとおりの金額となる。

八以上のとおりであるから、債権者新居崎の本件甲事件仮処分申請は、各選定者らに対し各債務者相続人において、別紙債権目録(一)各選定者名下の各相続人承継分欄記載の各金員を仮に支払うべく求める限度において相当と認め、保証を立てさせないでこれを認容し、同債権者のその余の申請は保全の必要性について疎明がなく、債権者玉城の本件乙事件申請は被保全権利について疎明がなくかつ保証を立てさせてこれに代えるのも相当でないから、いずれもこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。   (濱崎恭生)

選定者目録、債権目録〈省略〉

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